「再び、走る」。 突き抜けた目標でも、果てしなく遠い目標でも一つずつ。
30代男性/脳動静脈奇形の破裂に伴う脳内出血とクモ膜下出血、その後の急性水頭症の合併/左片麻痺
御池様
脳動静脈奇形に伴う脳出血を発症された御池様。発症前はスポーツを楽しんでいた事から「趣味や身体を動かす事にリハビリの時間を掛けたい」とQOL向上に向けて取り組んで居られる御池様より,これまでの経緯や熱い思いをお話しして頂きました。(1クール終了時インタビューより)
発症された時のことを覚えていらっしゃいますか
覚えています。その日は日曜日で昼頃に起きました。PCで少し作業をして、ひと段落ついたところで煙草を吸いにキッチンへ行きました。リビングに戻ろうとした瞬間に左半身の違和感に気付きました。私は当時一人暮らしだったので、周りには誰もいません。手に持っていたスマートフォンで直ぐに恋人へ電話しました。その頃には呂律が回っていなかった様で、それを恋人から指摘されて救急車を手配して玄関の鍵を開けておくよう指示されましたが、もはや身体は言うことを聞かず、そのまま前に突っ伏して身動きが取れなくなり、直後に激しい頭痛が襲いました。 ちなみにその時自分の身に何が起こっているかを考える余裕は全くなく、それがまさか脳出血だとは知る由もありませんでした。
入院中のお身体の様子はいかがでしたか。病院ではどのようなリハビリをされましたか
保存加療や水頭症の合併、細菌性髄膜炎なども重なり、救急搬送当日から半月間の記憶が抜け落ちています。その後も脳浮腫の影響もあってか、6週間程度は記憶が断片的で、関わった医療職員の方のお名前もほとんど覚えていません。 救急搬送から2週間ほど経過して、急性期病院でのリハビリを開始しましたが、それもほとんど記憶にないです。というか、間違いなく自分は生きているんですが、他人の体に憑依してその人の人生を操縦している感じで、自分はまた別の場所にいるみたいな。どこか他人事のような不思議な感覚でした。 倒れて1ヶ月後には、都内の「回復期リハビリテーション病院」に転院しました。運良く国内でもトップクラスの病院にすんなり入ることができたのですが、これは家族が急性期病院のソーシャルワーカーと主治医に救急搬送直後から相談していてくれたおかげです。 転院先では、医療保険適用による1日3時間のリハビリを曜日問わず受けることができました。プランニングでは、理学療法80分、作業療法60分、言語聴覚療法40分というのがスタートでした。脳浮腫が引いて意識がはっきりして以降は、その時間以外に自主トレーニングを合計2〜3時間ほど実施していました。高次脳機能への影響がないとされていたので、このまま言語聴覚療法を継続するよりも身体的なリハビリに全リソースを投下した方が良いと感じて、自らリハビリプランを変更していただきました。結局、リハビリ病院には丸4ヶ月間入院していました。
どのような経緯で『脳梗塞リハビリセンター』へ通うことにされたのですか
端的に申し上げると、医療機関疲れです。発症当時、東京都内で一人暮らしをしていた私は、倒れた日の1週間後に埼玉県へ転居予定でした。こういう場合、退院後は都内の医療機関で継続したリハビリを受けられないんですよね。そこで他の医療機関を探し始めたことが始まりでした。 脳梗塞リハビリセンターには、私が入院していたリハビリ病院で勤務経験のあるスタッフが在籍されているとのことで、より関心が高まっていました。でも、当時は自費リハビリという時点で後回しにして詳細情報を調べなかったです。 退院後に最寄の医療機関でリハビリを継続しましたが、どうしても「これじゃない感」が拭いきれず、自身で他の医療機関を探しました。脳卒中後遺症のリハビリは"発症後180日間を限度とする"という法的な制限があり、医療機関に問い合わせるも、予想通りタライ回しになりました。本当に順繰り一周して笑いましたね。ただ、次第に疲れを感じました。様々な制限の中でサービスを提供していくことは大変困難で、かつ医療機関と患者の双方に負担を強いる逆行した仕組みであることも理解できたので、保険適用外の自費リハビリの方が本質を捉えているのかもしれないという仮説ができつつありました。それを検証する目的で、脳梗塞リハビリセンターの無料体験に参加したのを覚えています。
実際に『脳梗塞リハビリセンター』でリハビリをしてみていかがですか
高度で成功難易度の高い目標に対して、欲しかった反応がドンピシャで返ってきました。それは、上手くいくかは分からないが、一緒にチャレンジしようというスタンスです。自分でも難しい目標であることくらい分かっているんですよね。でも挑戦したい。そして一人では絶対になし得ない。だから、プロのコーチングが欲しいんです。あくまでオーナーもプレーヤーも私です。チャレンジするか否かを私に判断させてくれる余裕にも、見惚れるものがありました。 スタッフの方は能力もモチベーションも非常に高いです。法の制限もなく利用者の回復にフルコミットされる方々ですから当然でしょう。個人的には医療機関との比ではないと感じます。ただし、個々人の能力だけでなく、ツールやプログラムを整備されることで、サービス品質を標準化されている点が素晴らしいと感じます。このような環境を提供されている時点で、他の機関とは差別化されていると感じますし、話を戻すと中で働くスタッフさんは常に伴走するスタンスを崩されません。これは満足せざるを得ないと感じます。 例えば、身体リハビリについてはスタート時に細かなプランニングを立てて取り組んでいくため、利用者の納得感とモチベーションに好影響を与えると思いますが、これは利用者全員に提供されているものであり、担当スタッフによる対応の偏りはありません。また、1回2時間半という時間の中で、鍼灸と身体リハビリに加えてトレーニングがパッケージになっているのですが、これも洗練されたプログラムだと思います。 リハビリ際中のアドバイスは、動作を最小単位まで分解して指摘していただけるため非常に再現性が高いです。理論的かつ簡潔的で普遍的な言葉を用いてわかりやすく説明していただけます。おかげで上手く動作でき、その成功体験が自己肯定に繋がり、意欲向上からリハビリの質が向上するという感じでしょうか。単純にスタッフの人が優秀なだけではなくて、提供されている仕組みごと素晴らしいと感じます
どのようなところが改善の手ごたえを感じていらっしゃいますか
歩行速度の回復を感じています。健康な方より歩くのが速いかもしれませんね。歩行時のフォームや正しい重心位置、「正しい位置に重心を保つために何をどうすれば良いか」という手前の細かな注意点も、各過程に分解して説明いただけるので、ここまで回復したのだと思います。 私が脳出血を起こした視床は全身のあらゆる感覚を中継する部位であるため、体の部位がどこにあるのか、目を瞑ると分からないほどに体性感覚を失いました。そのため、「指を伸ばしてください」と言われても、身体がどうなっているか分からないんですよね。なので、その状態を把握しつつ的確な表現で説明いただくことがスムーズなリハビリにつながりました。 視神経にも影響が出ていたようで、モノが二重に見える「複視」になっていました。この影響で眼精疲労と首・肩の凝りが酷く、リハビリに集中できないレベルでしたが、鍼灸治療で改善されています。嘘のように聞こえるかもしれませんが、複視が治ったのかと思うほど視界がクリアに感じました。複視自体が治ることはなくとも、それが影響して感じる二次的症状が緩和されているのでしょう。
今後の目標について教えてください
運動機能の最終段階としては「走る」というフェーズに到達したいです。ホノルルマラソンに出場して完走したいですね。健常者でも難しいと思われるようなことを完遂したいです。その前に、脚に装着している保護装具を外した状態での歩行が安定する必要がありますし、筋力と柔軟性も必要です。目標を達成するために必要な要素を、可能な限り分解して部品ごとに見るようにしています。そうすることで、漠然とした不安は取り除かれ、残ったのは極めて具体的な課題だけになります。あとはやるだけです。
同じようにリハビリに励んでおられる方、これからリハビリをしようと思っている方へメッセージをお願いします
まず、なぜリハビリをしたいのか、回復して何をどうしたいのかということを明確に持っていただくのが良いと思います。それがこの途方もない闘いに勝利を定義することとなります。難しい目標でも良いです。それは無理だと言われることもあると思いますが、耳を傾けなくて良いです。先にお伝えしたように、個人的には結果として失敗に終わってもチャレンジすることが必要だと思っています。小さな成功体験を積み上げて、自己肯定感を高めたい。心身ともに崩れそうな一大事に、批判的な意見へ傾聴する余裕はないと思いますし、時間の無駄だと思います。 それに、100%には至らないとしても60%まで戻れば充分にチャレンジできると思います。一人で到達することは困難でしょうが、諦める必要はありません。一人で無理なら二人でやればいいだけです。では、それにはどんな方が相応しいでしょう。誰とならこの闘いに勝てるのでしょう。どんな方々となら、例え勝てなくても、終わった後にチャレンジしてよかったと思えるでしょう。皆さんが立てた目標をなぜ達成したいのか、どうすればいいのかを一緒に考え、悩んでくれる人がいいのではないでしょうか。私は結果的に脳梗塞リハビリセンターを選択しましたし、今後も利用させていただきます。このパートナー選びは非常に重要で、当事者である皆さんにしかできない判断だと思います。
※インタビューの内容は個人の感想です。