歩けるようになれるんだったらもっとやってみたいなと思いましたから。
80代女性/脳梗塞/右下肢麻痺
片岡様
脳梗塞と循環器系疾患を同時期に発症し、大手術を乗り越えた片岡様、そしてそのお母さまを見守り続けてきたご家族様。もっと良くなるチャンスを求めて当センターをご利用いただいています。お二人にお話を伺いました。
発症した経緯はいかがでしたか?
娘さん:去年の10月21日に早朝に母の部屋からドーンという音がして、(部屋に)行ったら(母が)尻もちをついていて、(母が)トイレに行こうとして身体が急にグルっと回転したというそんな感じだったよね(母に向けて)。
それで、「(母に)大丈夫?」って言ったけれども何かその時に腰から力が抜けて立てなくなりました。トイレに行きたいというから私が肩を貸しながら連れて行って「とりあえずお母さん朝まだ速いから寝よ」って言って寝たら症状が引っ込んじゃったんですよ。それで私母さん心配だからもう一回1時間後ぐらいに見に行ったら、(母が)自分で立って着替えしていて(母)「もう直っちゃった」って言って「ひろちゃん運動しよう」って言って、二人で朝いつも運動していたので二人で運動していたんですよね。そしたら、なんかちょっと走りの動きとか手の動きが変だなーと思って、それで結局病院に行ったんだけども、地元の病院だと「多発生脳梗塞です。」と言われて、「それはまったく問題ないから今日はもう帰って良い」と言われ、薬も何も処方されずに、それで(病院から)「運動と適度にやってちゃんと食事に気をつけていればいいです。」というだけだったんですね。
だんだん麻痺が少しづつ出てきたのを見て、これはまずいんじゃないかと思って、いろいろと友だちに聞いてそれで結局、秋田市にある大きな脳血管研究センターというところがあるんですけども、脳梗塞とかの専門のところに行ってそれが2日目の早朝だったんですよね。72時間以内ではあったんですけども、そこに行ったら脳梗塞で「何してたんだ」って言われて即入院です。そういう経緯ですね。
そしてそこに行って今度、次呼吸が苦しくなってきて、これは別の病気も抱えているんじゃないかっていうので、たまたま隣が成人病医療センターというところで、そちらの方で循環器系も見てもらったら冠動脈が詰まっているというのが分かって、それで結局バイパス手術にもなった。それが12月。だから2つ同時に起こったようなものですね。
発症した時はびっくりしました。母に限ってみたいな、丈夫な人とばっかり思っていたのでだから私達は本当に近くに居て、何も見抜けず、私達は何やってたんだ、そんな感じですね。
お母さん:入院した時は何も恐いとも思わないし、「バイバイ、行ってくる」って言って手術室に入ったぐらいで、これから恐いんだという事は全然思わなかったね。 主人が亡くなって独り身になったから、なんにも心配することが無くなって そういう風な気持ち(恐くない)になったのかね。
娘さん:うんうん。そうかもね。うちの父が下半身不髄の人だったんですね。その後いろいろと病気とかあって5年間ぐらいは母が介護していました。「私ひとりが倒れれば、娘みんなに迷惑かけるから」と言って一人でなんでもやっていたんですね。だから多分そういうものの疲れが溜まりに溜まって、こういう事になったんだと思います。
お母さん:それは本当に悔しかった。お姑さんみんなおくって主人もおくって、今度は自分で羽ばたいて良いんだっていう時に倒れたという事が一番悔しかった。
病院内でのリハビリはいかがでしたか?
お母さん:脳梗塞の方は毎日歩かせたり、マット運動とかそういうような事を患者さん達にやらせていたんです。
娘さん:片足上げとか後は腹筋をやっていました。
お母さん:大分歩けるようになったなぁと言っていた時に今度心臓を患ったものだからその病院(脳血管研究センター)の隣の病院(成人病医療センターに入院してから大変だったというかね。
娘さん:入院して手術して4日目か5日目ぐらいにね。やっていたね。そこでは歩行訓練。開腹手術でここを切っているので上半身激しく動かす事が出来ないから、歩行訓練と尻上げを毎日やっていたね。
お母さん:私は給食は残さないで食べて、元気になってこの病院から早く出たいという気持ちだけでリハビリしていました。
娘さん:脳梗塞を患った時は右の手と右の足、右の腰も病院でリハビリをやっている中で上半身は大分良くなりました。
お母さん:心臓がこういう風な事にならなければとっくに退院して。
娘さん:やっぱり開腹手術で開けてしまって、あまり動かすなと言われていたから、どんどん筋力が失くなっていくんですよ。身体がグラグラグラなって歩けなくなって、ゼロに戻っちゃった。 握力も当然、失くなったし肩は動かせないし観葉植物みたいになっちゃった。上半身に関しては折角良いところまできてたのにという感じで、だからここまでもってくるまでにはすごい本人の努力有りきなんですよ。 もう侮れないおばあちゃんですよ。
お母さん:気持ちが沈むことはなんにも無かった。この子たち4人で毎日交代で来てくれて、だから寂しくなんにもなかったね。
娘さん:娘4人で姉二人は東京に住んでいて、基本的には私と妹と母3人で暮らしています。例えば私達が母を如何にして元気に笑わせるかみたいな感じであの手この手でみんなで、お母さん一人にしないようにしてやっていたから、一番幸せなオバァちゃんだったと思います。
退院後のリハビリはどのように考えていましたか?
娘さん:リハビリは満足いくものではあったのですけど、私達はもっと改善したかったんです。 けど、みんな地元の人たちというのは「ここまで回復したらもうそれでいいじゃないか」ってみんなに言われたんですよ。先生たちからも後は自宅に戻って普通通りの生活をしていれば良いんだっていう言い方なんですね。でも私達はそう考えないんですよ。なんでもっとやればもっと良くなるチャンスがあるのになんでここで止めなきゃいけないんだって思ったから、もっとよく慣れる方法を探してたんですよ。一生懸命。
入院中から東京の方の病院で回復期のリハビリテーション病院探して、資料も取り寄せてました。自分たちとしてはそこに行くつもりでしたから、退院して3ヶ月急性期リハビリが終わったら、6ヶ月間はそっちに行ってと頼まれました。
うちの母にもそのつもりで話をしていたら心臓の方の手術になっちゃって急遽2月までの入院になっちゃったから、そうすると10月から2月まででほぼ6ヶ月経っちゃっているから、もうね、病院に入れてくれないんですよ。保険適応外になっちゃって、それでリハビリ難民と化して、いくら頼み込んでもどこもダメでした。それだったら自分たちでやるって思っていろんな本を買って自分たちが医学療法士みたいに。
医者からは「なんでそこまでやるんだ!?」って言われました。地元の方はそうなんですよ。東京の方はそうじゃないと思いますけど。でも秋田のほうとか東北の方は脳梗塞になると、「歩けるじゃないか、もうそれでいいんだよ」ってそれで終わり。みんなそういうもんだって言いますけど、私は納得できませんでした。
お母さん:歩けるようになれるんだったらもっとやってみたいなと思いましたから
リハビリセンターのどのあたりに興味がありましたか?
娘さん:もっと回復したいの一心でインターネットで探していたら、脳梗塞リハビリセンターのホームページを見つけたんです。
脳へのアプローチとかは素人では無理だけど、こちらの施設は鍼灸や脳への多角的なアプローチをするということで、それが次のステージへ導いてくれるようなことなんじゃないかなという思いで希望を託して来たという感じです。
ただ鍼灸をやっているのではなくて、脳梗塞に特化した鍼灸ならきっとツボを抑えているだろうと思いました。
さらに調べていくと、こちらには実はアルクルというデイサービスがあったり、シナプスの可塑性を利用したアプローチとか、そういうのを実は知らなかった。それが嬉しい驚きだったんです。まさしくそれがあればもう言うことはない、と。筋力も絶対つけなきゃいけないし、いろいろなアプローチ全部が大事だと思っていたので、こちらはまさに私たちが探しているリハビリ施設でした。
施術してみてのご感想は?
お母さん:納得いったね、もう少しやってみたいと思ったね。だから来月も利用させてもらおうと思います。
鍼灸やってくれて身体をもんでくれたり、今までにないアプローチをやってくれるから良いなと思いました。
娘さん:スタッフの方々は明るく笑わしてくれるし、笑顔があるのがね。介助プランでサポートしてくれた方もとってもやさしいから移動中は楽しかったです。
急にお願いしてマッサージをしてもらった点も含め、いろんなことにフレキシブルに対応して下さったのも、現場レベルではいろいろな患者さんがいるなかで大変だったと思うんですけどもそれに応えてくれて本当にありがたいと思いました。
鍼は初めてだったんですけど、後はやっぱり足の裏に鍼をさしてもらったら麻痺をしている右足の後ろの感覚が消えていたんですね。そこに感覚が少し蘇りつつある。これは多分歩行にもすごく影響しているんだろうなぁって。
お母さん:鍼は気持ちよかったです。
具体的な体の変化についてはいかがですか?
お母さん:歩く姿勢が変わった様な気がします。足の運びとかが変わったね。
娘さん:身体がピンとまっすぐになってきて、そして腰のバランスがおかしかったんですけど、バランスが良くなって、足もつま先が歩くときにひっかかっていたけどひっかからなくなった。その辺は大きく変わったね。身体の感覚と上半身のグラグラがちょっと消えてきました。毎日来ていたけど、一日一日変化がわかりました。
娘さん:最初はトイレ行く時は押し車みたいなので行っていたんです。東京に着いた初日に、夜トイレに起きる時に尻もちをついてしまった。どうしよう明日リハビリなのにと。 そんな状態だったのに、リハビリを始めてから1日1日ぐんぐん良くなっていって、今はもう杖も使わずに一人でトイレにいっています。むしろ私たちに配慮しながら、足音を立てないようにして。
お母さん:やっぱり嬉しいね。
娘さん:そして私と妹でこっそり、見てトイレから戻ってくる時には寝たふりして(笑)。
デイサービス「アルクル」もご利用されてのご感想はいかがでしたか?
お母さん:あれはいいと思った。
娘さん:大好き。
お母さん:マンツーマンで4つあるトレーニング機械で運動を行いました。スタッフさんが丁寧に付き添ってくれたので、安心してやることができました。
娘さん:帰る際、車に乗り降りする時に「あれ?歩き方ちがう」ってすぐに実感ができました。地元(秋田)の方だとデイサービスはレクリエーションの様な形で、みんなまるくなって又あげてとか手を叩いてとかそういう感じなんですよ。そういうのは本人は出たくないと思います。
お母さん:行ったことないけど、周りから聞いて知っているから。アルクルでリハビリができたのは良かったね。
今回秋田から宿泊プランをご利用されて1週間毎日リハビリをしていただきましたが一日の流れはいかがでしたか?
娘さん:午前中7時に起床して食事をし、外に散歩に出かけて近くに関東病院があるので関東病院までまず歩くことを日課にしていました。関東病院にはとってもステキなガーデン庭があるんですね。その庭で歩行訓練をしてから、介助プランのお迎えがきて、リハビリセンターに向かいました。
もう今回は合宿なんです。二人の目的意識をはっきりしようということで今日は合宿3日目、4日目という具合に。
お母さん:テーブルに紙おいて1日目合宿って書いて。
娘さん:今日お母さん合宿2日目下半身入れて魂いれて!だからデパートとかそういうところに買い物に行きたい気もするんだけどまだダメ!って、でも今日はもう最終日なのでこの後打ち上げなんです二人で(笑)
お母さん:これからは毎月来ますね。
娘さん:フーテンの寅さんのような人に母にはなって欲しいです。西へ東へと。もう自由に生きるように私は母になって欲しいから、今までは籠の中の鳥だったけどもう羽ばたけって感じ。海外に連れて行きたいから絶対に歩けるようになると。
娘さん:これからの人生楽しまなきゃ。
お母さん:78もなるからもういいかなとも思うけど、やっぱりもう少し生きてたいって。
今後の目標はいかがですか?
お母さん:歩けるようになりたい。頭もまだボケてないし杖なしでゆっくりでもいいからあぁ歩けるんだぁっていうのを感じたいです。東京のデパートに行きたいし名所名所を回って行きたいしね。
私がそういうのに行くって時は必ず誰か一人付いてやって楽しませてくれます。9月にまたコンサートがあるからぜひ出てみたいです。
娘さん:ある時フッてみたら妹が料理あまりよく分からなくて、「お母さんこれどうやって作るのかな?」って聞いた時にひゅって台所にたったら伸びてたんですよ、ピシッて。だから、スイッチが入ると身体がまっすぐになる瞬間をみたんです。ということは何かできるようになるためのスイッチがあるんだと思いました。そのスイッチはどうやって押せば良いんだろうって。 多分私たちでは無理なんだろうなと思います。こういうところに来ないといけないんだろうなって感じですね。
娘さん:今回得た力、改善点を次回来るまでに持続させるかがテーマになるから、さっき鍼灸の先生に「どうやればいいかを聞いて鍼の効果ってどれぐらい持続するんですか」って聞いてこうやって定期的に1週間に何回これればいいけれどどうしても秋田に帰らなきゃいけないから1か月に一回だから間が空いちゃいますよね?
折角今回得たこの力を継続させるという事が今度私達のテーマになるんですよ。どうしても秋田に帰らなきゃいけなくて、来れるのは1か月に1回集中的にリハビリをしたいですけど、それまで間がどうしても開いてしまう。 だから、例えば丹田とかを温めればいいと鍼灸の先生が教えてくれたので、自宅でも自分たちでできる限りのことをやって、次回来る時には更に飛躍できるようにしなきゃなぁという感じですね。 今だけ良くなっても意味が無いから、これをどう持続どう持続させていくのかが、私たちのリハビリのテーマなんです。
※インタビューの内容は個人の感想です。