ご利用者さまの声 言語リハビリ

最初にここに来て、 自分の状態がはじめてわかったんです。

50代男性/脳出血/右片麻痺、構音障害
伊藤様

ご利用者さまの声_08_01

現役医師として仕事に打ち込む中、若くして脳出血を発症した伊藤様。発症後だんだんと構音障害が悪化し、発症から7年後、当センターをご利用され、改善を実感されています。現在にいたるまでのお話を伺いました。

発症の経緯について教えてください

9年前の4月29日に発症しました。その日は納会があって、みんなで飲んでいました。夜の11時ごろになって、急にふとだるさを感じて、頭痛や眠気もでてきました。僕はお酒は飲まないんだけど、周りからも体調が悪いように見えたみたいで「どうしたんですか?」「もう帰りなよ」と言われて、その場は自宅に帰ることにしました。翌日、だんだんと声が出にくくなってきて、僕は内科の医師をしておりますので、症状の感じからして脳梗塞か脳出血のどっちかかもしれないと思い、病院に行ってMRIを撮ったら脳出血であることがわかりました。なる前までは自分が脳出血になるなんてつゆほども思わなかった。

病院には実は入院しませんでした。一人でこのまま帰るのは無理だから入院しろと言われましたが、自分ではもう歩けるからいいやって思っちゃって。一応薬はもらって飲んでいたし、たいしたことないからと判断してしまって。家族には重症なんだから入院しろとすごく怒られたんですけど、そんなこと言ったら飯食えないぞ、と(笑)。でも僕自身もきちんと入院すればよかったと今では反省しているんですよ。本当に無謀だったと思います。でも、その時は仕事が大切だった。自分の病院が有床診療所なので入院している患者さんもいますし、年中無休だから結局休めなかった。

麻痺の症状はそうでもなかったですが、言葉が出にくくなる構音障害になってしまいました。構音障害は、発症すぐではなく1週間くらいかけて徐々に症状が現れてきました。はじめはちょっと言いにくいなという感じで、おかしいな、言葉が出てこないなと思っていたら、徐々に悪化していった感じです。

脳梗塞リハビリセンターに来るまでの経緯やお気持ちについて教えてください

入院はせずに仕事に精一杯な状況が続いていました。発症から3年目くらい経ってからやはりなんとかしたいということで、1年間ほど外来には通っていたけれど、嫌になって結局行かなくなりました。病院の先生に相談すると、そんなの治るよって言われていました。周りもみんな、調べてみたらそういうのはちゃんと治るらしいよっていうんです。でもいっこうに治らないことに自分では不安になってきました。自宅でも自己流で毎日リハビリをしていました。言葉だからしゃべっていたら治るだろうくらいの気持ちで、本を音読してみたりしていたけれど全然ダメ。こうやってやりなさいとアドバイスも受けたけどダメでしたね。

辛いのはなんといっても会話です、会話。やっぱり伝わらないとイライラするから良くない。看護師には指など全部使って指示していました。ゆっくり喋るって難しい。もともと早口だし。ゆっくり、大きい声で。「あなたはいつなにをしましたか」。こうやってゆっくりしゃべんなさいって言われれば、きちんと発音することはできます。でもゆっくり喋ると言っても、焦るし難しいんですよ。

えてして50歳より若い人は聞き取れるけど、ご高齢の方ほどどんなに頑張っても聞き取ってもらえないことが多いんです。診療に来るのはご高齢の方が多いのでやはり困ります。僕が伝えようと意識しなくて言ったことがわかっちゃう。例えば「次はないでしょ?」って表現するのと「次はあるでしょ?」って表現するのだと、聞き間違いが大きな誤解を生む。だから「次はないでしょ?」とは言わず「次はどう?」って聞いたら「次はありますか?」「次は一人ですか?」って返ってきたり。患者さんが目の前にいるのに言いたいことが言えない。イライラなんかできない。でも患者さんに伝わらないと辛い。そういのを治したいと思ってここに来たんです。

発症から7年経ったある日、facebookを見ていたら中学のときの先輩が、新宿のここの施設でリハビリしている人は症状が良くなっている人がいるみたいだよと教えてくれて、土日もやってるし、自宅からも近いしじゃあ行ってみるかと思って電話をしたのが最初のきっかけです。ずっと仕事が忙しかったのですが、少し年も取ってきたし、診療を減らして外来日曜も辞めることにして、時間ができたのも大きかったですね。

実際にリハビリを受けてみた感想はいかがですか?

ここでリハビリをするようになって、言葉はすごく改善しました。しゃべるときに相手に伝わりやすくなりました。

最初にここに来て、自分の状態がはじめてわかったんです。こんなふうになっているなんて全然知らなかった。もうここ来てびっくりした。何がって、顔ですね。自分の顔はこんなに上がらないのが衝撃でした。こんなにひどいのかって。 驚いている僕に、担当してくれている言語聴覚士の先生が、僕の状態について、わかりやすく説明してくれました。自分では自分がどうなっているのかなんてわからない。でも先生は、ここはこのようにうまくできている、ここはこのようにうまくできないないって言ってくれてとても楽になったことを覚えています。そんな風に説明してくれたからこそ、ひとつひとつの問題を治していこうって気持ちになることができました。

リハビリの内容ですが、こんなこともやるのかと思ったけど、首や顔のストレッチ、マッサージもやってくれました。言葉の発音っていうのは結局、口が動かなきゃ絶対うまくできない。発音する練習もしましたし、ゆっくり喋る練習もしました。早口で喋っても伝わらないので。テレビを観ていると、あの長嶋さんが上手く改善してきている理由は、早くリハビリ始めたからなのかなって。まだうまくしゃべれていないように感じるけれど、それでもしゃべるのが上手くなってるなあって思うと、自分と比較してしまい悔しいときもあります。 でも、先生が指導してくれたおかげでこういうふうにしていけば、絶対に治ると思いましたよ。実際、1年通ってみて、もっと早くしゃべれるようになる、もっと治ると思っています。

医者もそうだけど、患者さんの体を触わって、ちゃんと説明してあげることで患者さんは納得するんだから。毎回どうしてこういう薬を出したかとか説明すると、ああそうなんだって安心するでしょ?こういう口の動かし方をしてしまえば誰でもしゃべりにくいんだよとか、こういうふうに動かせばしゃべれるものなんだという仕組みを説明してくれるとすごく気持ちが楽。そういう本質と技術がほんとにここの言語聴覚士はプロだと思います。

担当の言語聴覚士の先生は、良いことばっかり言ってくれる。悪いことは悪いって言わないで、「こうやったらもっと良いですよ」って言ってくれる。それが楽しいんですよ。ここに来るのが楽しい。昔病院に通っていた時は、通院すればほとんどしゃべれるようになると思ったけど、実際はしゃべれるようにならなかったからがっかりした。でも、ここに来ると楽になります。次に来るまでがんばろうって。で、次また練習して。 もっと早くこの先生と会えてたらってね。こういうリハビリができるところがないですもんね。ほかにないからここに来るしかなかったんです。

病気になった後、こういうことをしてみたいと思って挑戦したことはありますか?

自分で運動したくて、3年前くらいに阿波踊りを始めました。もともと10年前に新宿医師会で「白衣連」という金沢で開催される阿波踊りに出る話になって、ずっと出たかったんです。この頃から、体はだいぶ良くなったし、運動して体の調子もなんとかしなきゃと思い始めていたし。みんなから練習しに来いよって毎回誘われているうちに、仕事もだいぶ片付いて心にも余裕がでてきたし、仕事ばかりじゃなんだからと思いはじめ、やってみようとなりました。

人間はこういう病気になるとなんでこんな風になってしまったんだろうって思うものだけど、ここに来て言葉を治してもらうと、気持ちが全然変わります。僕はマイナス思考だからまだ思う通りにしゃべれないことが辛いこともあるけど、でもきっとリハビリを続けていれば、もっとしゃべれるようになると思っています。

今も現場で診察をしていますが、この仕事は一生続けたいと思っています。なんといっても患者さんが目の前にいるから。 例えば、インフルエンザのワクチンが不足したときに、自分だけは打ってくれって予約してる人は多いけど、高齢の方が先か、赤ちゃんの方が先か?結局は順番になるんだけど、自分だけは打ちたいとみんな思うわけで、そういったことを迫らせるときもある。それが医師という職業なんですね。

同じような後遺症で悩まれている方のご家族に向けてひとことお願いします

後遺症をもったとき、みんなポジティブに「ちょっとやってみない?ちょっとやってごらんなさい」と言うことがあるけれど、マイナス思考の人もいます。周りの人にはわからない気持ちもあるから。みんながポジティブにはなれるわけではないから、その人の気持ちにそった形で向き合ってあげてください。

※インタビューの内容は個人の感想です。

カウンセリング付

脳梗塞リハビリセンター
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5,500円(税込)